そもそも「自信」とは
辞書によれば
自分の能力や価値などを信じること。
自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。とあります。
なぜ自信がない
辞書に書かれている内容を見ながら自分はどうだろう。
どれも当てはまるものはありません。
なぜならば、私にはいつも迷いがあるから…
能力は、つい他人と比べ秀でたところをみつけられない。
他人の評価を求めてしまう。気になる。
考えや行動にしても正しいのかどうか確信を持てません。
なによりも自分自身を信じることができていなかったのかもしれません。
今までの考えを書き出して気がついたことは、自信が持てない理由は「不安と他人の目・評価」が常に頭の中心に居座っているからでした。

どんなことでも迷いが生じたらその時の考え、思い、感情を書き出してみてください。
頭で考えるだけとは違い見返すことができることで客観視できます。
特に他人に関しては不確定要素ばかりなのに、それを気にしすぎて物事をすすめると何事もまとまらなくなります。
他人の目を必要以上に気にかけている限りは自信を保ち続けることはできないと気づきました。
これまでの記事
カテゴリ「未来の自分のために」を柱にこれまで書いてきた記事は不安を取り除き自信をつけるために必要と思われることが中心になっています。
初めから構図を考えて書いてきたわけではなく、書いていく中であれこれ考えるうちにそう感じるようになったのです。
過剰な不安・白黒思考など極端すぎる考えや他人の評価を優先することは自信をつけるためには足枷にしかなりません。
それらの思考を改善するための記事であったりするのです。
自信と依存対策
自信をつけることと、このサイトの本題「依存症(者)」は関係ないように思われるかもしれませんが、私自身は自分の経験から深い関係があると確信しています。
依存症者の方で自信を持っておられる方はどれほどおられるでしょうか?
私の中では依存症者=自信を持てない方とさえ思っています。
必要以上に人目が気になり、自分はどう思われているとか他人の自分に対する評価ばかりに気を取られています。
その真逆に自分の成し得ない理想像を他人に向けて心の中で押しつけ期待し、できていない様子を見て批判するのです。
口に出さなくても他人に不満を持つのです。
自分に自信を持てたならどうでしょう?
必要以上に他人のことは気になりません。自信が持てないから他人が気になるのです。
自分の進むべきみち(目的地)を見据え歩み続けるのであれば他人の目や評価はそれほど気にならなくなります。
他者から受け取る自信は本当の自信ではありません。
自分軸
先ずは自分を理解すること本音を受け入れることです。本当に大事なこと、大切なことを自分に問いかけてください。
それがわからずして自分軸はありません。
自信とは自分軸で進む、行動するところから生まれる。それが私が理解する自信であり自信の育て方なのです。
自信は持つのではなく生まれてきて少しづつ膨らんでいく育てていくものではないかと感じています。
自信がつくと自分にとって何が必要で何を優先すべきかが、はっきりと捉えられるようになります。
なによりも依存する必要がなくなっています。

最後に
私は自分軸という表現をどうなんだろうと感じていました。それは自分勝手な考え・行動とならないのか?たんなるわがままになることにならないのかと‥
私は思います
他人の意見を取り入れて変わることがあってもいい。いや自分が必要と感じればどんどん取り入れて変えれば良い。取り入れた結果、必要なければ手放せば良い。
自分軸とは先ず自分の本音を理解し認めるところから始まります。
本音を曖昧にしてるとつい流されやすくなります。
かたくなに意地を通すのとは違います。優先することを理解していれば良いのです。
コメント