ギャンブルにどっぷりとハマっていた時期、やめなければともがいてた時期。
頭の中はギャンブル絡みのことで一杯になり他のことはその場しのぎで過ごしていました。
なにも見えない・聞こえない
依存しきっていた頃は勿論、やめようと努力していたころも、いつもいつもギャンブルが主役をつとめていました。
そんな時、他のどんなことが見えていても聞こえていても意識がそちらを向かないので、止まることなく駆け足で抜けていくのです。
他人の良きアドバイスも含め自分にとって有意な情報も全てです。
わずらわしく思うことも少なくありませんでした。
洗脳されてしまった脳は簡単には解放してもらえません。
分岐点はいつもそばにある
過去の自分を思い返しても、どんな状況下にあってもギャンブルが思考から離れないときは、どんな良いアドバイスをもらえても反感しか生まれませんでした。
唯一、心が少し落ち着くタイミングが自分にはありました。
私の気持ちを理解されているという実感が湧いたときでした。
そんな時は一時的にでも他人の話が冷静に聞けてました。
これも人それぞれ違いますから、一概に全ての方に当てはまるとは思っていません。
しかし、チャンスはいつも近くにあるのも確かなんです。
本当の目的
この記事の内容はそれを伝えるためではありません。
心が落ち着いて前を向けるようになってからのことです。
とにかく回復を目指すことは当然と言えば当然です。
今の私が断言できることは、回復は過程であるということです。
本当の目的はそこではありません。
依存症を乗り越えることで一回りも二回りも大きくなって「しあわせ」になることなのです。
しあわせを感じ、しあわせを知ることです。
幸せになるために必要なのが回復・脱依存症なんです。
幸せを感じられていない方は誰も幸せにできない
幸せを感じられてない方が、他人(家族を含め)を幸せにはできません。
もし、できると断言できる方があるのであれば、それは自分を犠牲にした歪んだ愛です。
本当の幸せではありません。
自分自身が幸せで心を一杯にし、溢れた幸せで他人を包む…
もしくは幸せを実感し自然と周りも共鳴する‥
それが無償の愛であり他人を幸せにできることだと思うのです。
最後にもう一度書きます。
回復を目指すことも、困難からから何度も立ち上がることも全て幸せになるためなのです。
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